更待月 西園寺×啓太

 西園寺の部屋に向かう間、西園寺はずっと無言だった。
 少し後から追いかけるようにしてついて来た啓太も、ただ黙ったまま西園寺の
後ろ姿を見つめていた。
 やっぱり怒らせちゃったかな…。
 
啓太は、初めて西園寺に自分の想いを告白した後、「決して裏切らない」と誓いを立てた。
 中嶋とのやりとりは、裏切りではなかったと思うけど…、と自分に言い聞かせながらも、
啓太は、西園寺の様子を伺っては、不安そうな顔を隠せなかった。


「失礼…します…」

 なんだか後ろ暗さが消えなくて、いつも以上に緊張した面持ちで啓太は西園寺の部屋に入る。
ひと気の無かった部屋のひんやりとした空気が、少しだけ肌に痛い気がした。
 部屋に入っても、ソファーにかけるでもなく立ったままだった啓太に、やっと目をやった
西園寺は、わずかに顔を曇らせて口を開いた。

「声をかけられたくなかったのか?」
「そ、そんなこと、あるはずないですっ」
 さっきまでおとなしかった様子とは打って変わって、勢いよく言葉を発した啓太を
じっと見ていた西園寺が、声を立てて笑い始めた。「そうか」と頷きながらも、
まだ笑いが止まらない。
 

 怒ってないことが確認できて良かったけど、そんなに笑わなくても…。啓太は少し不満そうに、
西園寺から目線を外した。すると、机の上に置いてあるCDが啓太の目に留まった。

「西園寺さん、このCD…」
 まだ啓太が西園寺と知り合って間もない頃、歌を歌えと言われたことがあった。
西園寺なりに啓太の気分を晴れさせようとしていたのだろうと、今なら理解できるけれど、
当時の啓太にとっては驚き以外の何物でもなくて、思いつきで自分の好きな歌を歌ったのだった。
 西園寺は、その曲をあまりよく知らないようだった。流行りの歌など、ほとんど聞かない
ということを証明するように、西園寺の部屋には、クラシックのCDばかりが並んでいる。
 しかし、啓太が机の上に見つけたCDは、かつて啓太が歌った曲のものだった。
 
 CDと西園寺の顔に交互に目線をやる啓太に、西園寺は優しく笑って言葉をかけた。
「私は、啓太の声の方が好きだ」
なんのためらいも、てらいもなくそう言いきる西園寺に、啓太は上手く言葉が返せずに、
もごもごとつぶやく。
「そんなこと…」
 嬉しい気持ちよりも、恥ずかしい気持ちが先に立ってしまう啓太の様子すら愛おしく思う
西園寺は、啓太に顔を近づけて、意地悪く囁く。

「私の言うことを、否定するのか?」
「そうじゃありませんけど…。俺なんかよりも…」
 
西園寺から顔をそらしながら、小さく啓太が反論する。
「西園寺さんの声の方が、ずっと綺麗です…」

 少しの沈黙に、居心地が悪くなった啓太は、西園寺の様子を
うかがおうと、
そっと顔を向け直す。西園寺は、啓太に優しい視線を送りつつ、啓太が自分に向き返るのを
見透かしていたかのように、啓太の顔を両手で包んだ。外気に触れていた西園寺の手は、
紅潮した啓太の頬を心地よく冷やしていた。

「熱いな…。中嶋に風邪をうつされたのか?」
 真顔でそう言う西園寺に、啓太が懸命に反論する。
「風邪なんかじゃありませんっ。西園寺さんが…」
 啓太が、そっと西園寺の手を取り、自分の両手で包みこんだ。ひやりとした白い手が、
自分が憧れていた西園寺のものだと思えば思うほど、体温が上がってしまう気がする。
「西園寺さんの手が冷たいから…」
 ますます頬を紅く染める啓太に、西園寺は、小さく笑って囁いた。
「お前は、本当にかわいいことを言う」
「かわいいって…」
 
 するりと啓太の手を振りほどいた西園寺は、啓太の言葉も気にせずに、啓太を抱き寄せ、
そっと頭をなでる。やっぱりこの人にはかなわないな…と、啓太は諦めたように力を抜いた。
 西園寺の指が、しなやかに啓太の髪をすべるのを感じて、啓太はうっとりと目を閉じた。
 西園寺が、小さな声で啓太の名を呼んでいる。ゆっくりと囁くような声で。
 やっぱり綺麗な声だなぁ、と啓太は目を閉じたまま、ぼんやり考える。

「啓太」
 今度は、はっきりと西園寺に名前を呼ばれて、啓太は、慌てて顔を上げた。
それを待ち構えていたかのように、西園寺の両手が啓太の頬を包み、そっと唇が重ねられる。
「隙が多いな、啓太は」
 西園寺は、困ったように笑っていた。気にしていないように見えて、さっきの中嶋との一件を
気にしているのかもしれない、と啓太も困ったように笑い返す。
 でも、本当は違うと言いたかった。西園寺さんの前だから…、と言い返したくて、
啓太は慌てて口を開こうとしたが、それを遮るように、西園寺の唇が、啓太の唇を塞いだ。


 外の闇が、少しずつ深くなっていく。西園寺から伝わるぬくもりが、啓太の心を温めていった。
 冴え冴えとした月が昇り始めるにしたがって下がってゆく外気と反比例するように、
暖かい時が流れていた。それを感じた啓太は、自然と笑顔になる。

「そうやって、笑っていろ。ずっと、私のそばで」
 小さくつぶやいた西園寺に、啓太は、ゆっくり確かめるように言葉を返す。
「ずっと、ずっと西園寺さんのそばにいます」
 
 窓の外の夜空に浮かぶ月は、優しい光を放ちながら、天高く昇り続けていた。

          
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