幾年月  丹羽×中嶋


 不覚だったな、と思う。こんな時期に風邪を引くなんて。
 秋から年末にかけては、行事が多い分、生徒会としての仕事も多い。
生徒会室の机の上に、山積みになっているであろう書類を思い浮かべて、
中嶋は、大きく溜め息をついた。

 だいたい、いつも丹羽がちゃんと仕事をしていれば。文句を言ったからといって、
聞かない相手だとわかっていながら、言わずにはいられない。そのたびに、
小舅呼ばわりをされて、また腹を立てる羽目になる。

 こんなときは、何も考えずに寝てしまうに限る。そう思ったとき、
静寂を突き破るかのように、乱暴にドアが開けられた。こんなドアの開け方をする奴は、
一人しかいない。


「よぉ、ヒデ。風邪引いたんだって?」

 両手いっぱいに何かを抱えて入り込んできた丹羽は、病を得た人間の神経を
逆なでする程に、暴力的な大きさの声で話しかけてきた。見ればわかるだろう、
という気力すら起こらない。
「まぁ、たまには、ゆっくりするのもいいかもな」
 無神経な言いように、何か反論してやろうかと思ったが、それすら鬱陶しく思えるほど、
身体にだるさを抱えていた。久しぶりに引いた風邪は、思った以上に負担がかかる。
「いつもゆっくりできないのは、誰のせいだと思っているんだ」
 やっとの思いで、そう言った。丹羽と目を合わせずに。当然、何か言ってくるかと
思っていたのに、意外にも丹羽は、押し黙ったままだった。居心地の悪い空気が流れる。
 早く出て行けばいい。どれだけ丹羽が、自分に自信を持っているのか知らないが、
俺に関わるということは、そんなに楽でも幸福でもないはずだ。むしろ…。

「さて、仕事でもして来るか」
 ああ、出て行け。お前がいない方が、ゆっくりできる。そう言うつもりだった。

「丹羽…」

 気がついたら、丹羽の名を口にしていた。まるで引き止めるように。
 思ってもいない自分の態度に、無性に腹が立った。風邪を引いてるからといって、
こんなことは、おおよそ俺らしくない。丹羽は、自分には必要ない人間だ。
 そして、丹羽にとって俺も。

「なんだ?もう少しここにいて欲しいのか?そうならそうと素直に言えよ。
せっかく風邪引いてるんだしな」
 どこまでも無神経に、ひどく嬉しそうに、丹羽がそう言って笑った。馬鹿馬鹿しくて
話にならない。風邪ごときで同情されるなど、弱気にも程がある。
「早く仕事しに行け」
 答えた声に苛立ちを隠せなかった。いくら語気を強めても、いつもの自分の感覚から
遠ざかっていくばかりだった。いまさらながらに、風邪でおかしくなりかけている思考回路を恨む。

「お前がいなくては、生徒会が成りたたん」
 俺がいなくても、という言葉を、寸でのところで飲み込んだ。そんなことを言えば、
丹羽は、つけあがるに違いない。だが、丹羽がいれば生徒会が機能することは、
紛れもない事実だった。事務処理という人手の問題があるだけで。丹羽には、
それだけの能力があった。俗に言う、人徳、というものも持ち備えていた。
俺には持ち得ないものばかりだった。

「何言ってんだよ。ヒデがいなくちゃ、どーにもなんねーよ、生徒会は」

 また暴力的に笑っている。病人の前だというのに、少しは気が使えないのか。丹羽が言葉を発するたびに、
イライラする。こんな生活は、もう3年目になっていた。


 偶然に出席番号が前後だったから。偶然に主席と次席だったから。理由なんてそんなものだ。
特に意味も意義もない。誰でも良かったのだろう。そう思い続けて、今に至る。
 だが、正式に生徒会に名前があるのは、いまだに丹羽と俺だけだ。
「新しいメンバーを入れろと言っただろう」
 丹羽は、俺の言うことを全く理解していないようで、返す言葉なく、ぽかんとこちらを
うかがっていた。理解していないというより、むしろ理解しようとしていないのだろう。
 丹羽は、自信過剰だ。その上、他人を信用しすぎる。それが見え隠れする態度は、
丹羽の美徳だと褒める奴も多いだろうが、俺にとっては、弱点にすぎない。
 つけ入る隙が多すぎる。その純粋さを傷つけようとしたこともあった。
 だが、丹羽は、絶対的な自信を武器にして、俺に勝負を挑んできた。
 そして、丹羽は、負けることなく、今もここにいる。


 俺の提案などよそに、丹羽は、さっき持ち込んできたらしいリンゴをむき始めていた。
 返事する気もないようだ。全く丹羽らしくて、溜め息が出る。
「風邪には、やっぱりリンゴだよなぁ」
 ナイフの立てる音が、妙に耳に響いていた。
「食わんぞ」
 冷たくそう言い放っても、丹羽は、さして気にする様子もなくナイフを置いて、
むきかけのリンゴに噛りついた。

「うまいのに」
 勝手に他人の領域に入り込んできて、勝手な事ばかりしている。それなのに、丹羽を
憎む事ができない奴が多すぎる。多分、それを認識している丹羽は、ますます他人の領域に
入り込もうとするのだ。
「迷惑だ」
 言わずにはいられなかった言葉だった。関わるな、俺に。もう、これ以上。
「なぁ、ヒデ」
 丹羽は、ひどく落ち着いた声で、ぽつりぽつりと話し始めた。もっと感情的な奴だった
はずなのに。3年という時間の長さを思い知らされる。
「俺は、何にも考えないで先走っちまうからさ。他人の気持ちとか、あんましわかんねーけど。
上手く表現もできねーけど」

「いまさら何だ」
 感情的でいいのだ。そんな歯切れの悪い戯言を聞くぐらいなら、拳に物を言わせる
丹羽の方がずっと楽だ。

「本当にヒデがいねぇと困るんだよ」
 何度言わせれば気が済むのだろう。丹羽さえいれば生徒会は成り立つのだと。
「啓太でも何でも使え。誰でも同じ…」
 最後まで言い切らないうちに、丹羽に言葉を遮られた。
「ヒデじゃなきゃ困るって言ってんだろっ」
 驚くほど感情的な丹羽だった。俺の望まない方向に、だったが。
「ヒデじゃなきゃダメなんだよ。書類一つ取っても、郁ちゃんに文句言われるし。
あんな仕事量、他の奴にこなせるわけねーし。それに…」
「もういい」
 聞いていられない。それでも、ごたくを並べ続ける丹羽は、俺が止めるのも聞かずに、
なお感情的にしゃべり続けていた。

「いいから聞けよ。ヒデがいたから、ここまで二人なんて有り得ない人数で生徒会を
やってこられたんだ。3年だぞ、3年。そりゃーお前に小言を言われ続けてキレたことも
あったけど。でも、感謝してるんだよ。1年のときにヒデに声かけて正解だった。だから…」

「いい加減に…」
 もう限界だ。語気を荒げて、丹羽を制しようと言葉を発した瞬間、丹羽に掴みかかられた。
ふと、1年のときに初めて掴み合いの喧嘩をしたことを思い出していた。

「最後まで聞けっ。俺はっ」
 鬱陶しいほど感情的な丹羽は、1年のときの記憶と違って、俺に殴りかかるわけではなく、
叫ぶように言葉を続けた。

「ヒデに会えて良かったんだっ」
 
 溜め息をついた。ゆっくりと丹羽を見ると、まっすぐ俺を見返してくる。どこまでも
変わらない丹羽に、もう一つ溜め息をついた。こんな丹羽に返す言葉は、一つしかない。
「丹羽」
「何だよ?」
 感情が少し収まったらしい丹羽は、ばつが悪そうにこちらを見ている。
「お前は、思ったことを口にしすぎだ」
 少し間を空けて、丹羽が笑った。今度は暴力的ではない分、丹羽らしさを欠く笑いだった。
一瞬にして空気を和ませてしまうような、そんな笑いだ。

「ヒデは、言葉が足りねーんだよ」
 言葉など信じるに値しない。それは、今も変わらなく思うことなのに、丹羽の言葉を
受け入れようとする自分がいた。そんな自分を丹羽に気付かれないように、丹羽に背を向け、
だるさが消えない身体をベッドに沈めた。
「さっさと寝て治す。お前は仕事に戻れ」
 まだ丹羽は笑っていた。無性に腹の立つ笑いだった。
 丹羽が立ち上がった気配を感じて、ようやく静かに休める、と思った瞬間、頭に何かが触れた。
それが丹羽の手だということに気付くまで、あろうことか、頭をなでられ続けるハメになった。
 慌てて丹羽の手を振り払おうと、丹羽の方に向き返ったとき、丹羽は、不自然なほどに
顔を寄せてきていた。
「早く帰って来いよ」
 耳元で、丹羽にしては小声な上に、乱暴な丹羽からは程遠い言い方に、唖然とする。
「いい気になるなよ、丹羽」
 そう言って、丹羽に背を向けた。丹羽が声を抑えながら笑う様子が、気に障る。
「はいはい。せっかく風邪引いてるのにねぇ」
 素直じゃねーの、という言葉が、ドアが閉まる少し前に聞こえてきた。
「素直になんかなれるか」
 身体に残る熱は、風邪のせいだ。心の奥が締め付けられるように思うのも、髪に残る
暖かい感覚を、どうしても振り払えないのも、全て。


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