「何が欲しいですか?」
そう訊いても、真面目に答えてもらえる気がしない。
「じゃあ、伊藤くんで」
何のためらいもなく、そう答える七条を想像して、啓太は頬を赤らめる。
七条の誕生日当日まで考えに考え続けたが、良いプレゼントは思いつかず、啓太は、慌てて学園の近くにあるケーキ屋で、イチゴの乗ったショートケーキを二つ買った。
特に変わり映えしない、ありきたりのケーキでも、きっと七条は喜んでくれるだろうけれど、せめて特別な日ぐらい、いつも食べないような豪華なケーキを食べさせてあげたいのに。
見慣れたケーキの箱を眺めながら、啓太は気持ちを沈ませる。
しかし、ぐずぐずしている間に、せっかくの七条の誕生日が過ぎてしまう。
少しでも一緒に。そう思い直して、諦めたように溜め息をついた啓太は、箱を手に取り、重い腰を上げた。


啓太が、七条の部屋のドアを叩くと、すぐに顔を出した七条が、啓太に笑いかける。
「いらっしゃい」と歌うように言った七条は、当たり前のように啓太を部屋に迎え入れようとしていた。
「あの……、七条さん……」
気まずそうに、ぐずぐずとその場に留まっている啓太の手元に目をやった七条が、啓太の手からケーキの箱を取る。七条のその行動に驚いた啓太が七条を見上げると、七条は、小さく笑って、啓太に言葉をかけた。
「ちょうど甘いものが食べたかったんです。お茶にしましょう」
七条の言葉に気遣いを感じつつ、啓太は、コクンと頷き、招かれるまま七条の部屋へ入ることにした。


「お茶の準備をしますから、伊藤くんは座って待っていて下さい」
いつものセリフで、いつもの場所に座る啓太の目に、見慣れない赤い箱が映る。

「STRAWBERRY」と書かれた赤い箱の下に、さらに「Sweet Lip」と書かれているではないか。
何も置かれていないテーブルに、ぽつんと置かれた赤い箱は、何かを訴えかけているようで、思わず啓太は箱から目を逸らす。
これは、いよいよ、「じゃあ、伊藤くんで」という流れになるのかもしれない。
思い通りのプレゼントを用意できなかった後ろ暗さを振り払いつつ、啓太は、七条のあからさまともいえる策略に乗らずに済む方法をひたすら考え続けていた。


「お待たせしました」
戻ってきた七条が、嬉しそうに笑いながら、カップとケーキを置く。
やっぱり、ちゃんとした誕生日ケーキを用意すればよかった、と心ひそかに啓太が後悔していると、そんな啓太をよそに、七条は、ケーキに手をつけ始めた。
七条の目には、赤い箱など入っていないかのような態度に、啓太は首をかしげる。
「伊藤くん?」
いつの間にか赤い箱を凝視していた啓太は、七条に心の内を悟られないように、慌ててカップに手を伸ばした。
何事もなく過ぎてゆく時間。啓太は、早く、誕生日おめでとうございます、と言いたかったが、なかなか言い出せないまま、ケーキを食べ終えてしまった。
「あの……」
ケーキの皿を片付け始めた七条に、思い切って啓太が声をかける。
「いつものケーキで、ごめんなさい」
啓太の言葉に、不思議そうな顔をした七条が、笑って言葉を返した。
「ここのケーキが食べたかったんですよ。いつも食べたくなるほど、僕は、これが好きなんです」
「でも、今日は、誕生日でしょう?」
おめでとうと言う前に、責めるようにそう言ってしまったことを、啓太が後悔していると、七条は、啓太にテーブルの上の赤い箱を手渡した。意味ありげに笑うばかりで何も言わない七条に、しびれを切らした啓太が口を開く。
「これ、何ですか?」
開けてみて下さい、と七条に言われても、あまり良い予感がしない啓太は、箱を開けるのを戸惑っていた。
「それでは伊藤くん、特別な方の誕生日プレゼントを、僕に下さい」
七条に、真っ直ぐ見つめられてそう言われては、もう何も言えない。
啓太は、予想通りの展開に、なぜか少しだけ安堵しながら、七条に頷いてみせた。


七条にうながされて、赤い箱を開けてみると、出てきたのは、リップグロスのようだった。
いくら恋人が男性だといっても、啓太が女性になったわけではない。きっと七条の希望は、これをつけろということなのだろうけれど、さすがの啓太も、すすんでリップグロスをつける気にはなれなかった。
戸惑う啓太の手から、リップグロスを手に取った七条は、裏に書かれた文字を啓太にかざして見せる。
「みつ?」
よく見てみると、リップグロスではなく、食用のみつと書いてある。製造元も、啓太も知っているぐらい有名な飴の店だった。

ふたを開けると、甘い香りがする。少しだけ中身を出して、そっと舌で舐めてみると、上品なイチゴジャムのような味がした。
「江戸時代には、飴を唇に付けるという化粧法があったそうです」
確かに、唇にもよさそうだし、何より美味しいし、と啓太は納得しかけたが、江戸時代の話を持ち出されても、女性がしていたことには違いなかった。啓太は、抗議するように七条を見上げると、七条は、困ったように笑って、啓太の耳元に口を寄せた。
「お願いします」
誕生日は、特別な日。そこへお願いをされてしまっては、後に引けない。
啓太は、溜め息を一つつくと、そっとみつを唇に塗った。
唇にみつが乗る違和感は、啓太の胸を高鳴らせる。七条を見つめ返すこともできず、うつむいたまま、啓太が小さく口を開いた。
「お誕生日、おめでとうございます」
七条は、うつむく啓太の顎に手をかけると、啓太の顔をそっと上げさせる。
啓太に目線を合わせたまま、ゆっくり七条が顔を近づけ始めると、啓太が急に切り出した。
「目……つぶってください」
顔を近づけるのをやめた七条に、啓太が言葉を続ける。
「特別な誕生日プレゼント……なんだから、俺が……」
啓太の言葉を理解した七条は、嬉しそうに笑って頷き、ゆっくり目を閉じた。


ためらいながらも、啓太が段々と七条に顔を近づける。かすかに甘い香りを放っている啓太の唇が、もう少しで七条に重なるというところで、突然、七条が目を開けた。
「七条さんっ」
あれほど、目を閉じておいて欲しいと言ったのに、と啓太が不服そうに抗議する。
「見ないで下さい……。プレゼントできません」
「ダメですか?」
いたずらそうに笑った七条が、啓太に打診する。
恥ずかしくてたまらないのに、七条の言葉に首を触れなかった啓太は、諦めて、七条と目を合わせたまま、唇を近づけていった。
重なり合う視線の中で、薄いみつの膜が七条の唇に触れる。いつもとは違うキスの感触。甘い香りと、流れるような柔らかいみつの食感が、優しく二人包み込む。
唇を離し、小さく息をついた啓太の唇に、七条の指が触れた。いつの間にか、みつをつけていたらしい七条の指が、甘い贈り物を啓太の唇に乗せる。
このみつを使いきるまで、七条は、啓太を解放してくれるつもりはないらしい。
観念した啓太は、満足そうに笑う七条に、再び唇を近づけた。