「星明かり」 4

七条が、会計室を出た後、西園寺は啓太に話しかけるでもなく、ただ冷めた紅茶に口をつけていた。
啓太は、そんな西園寺に何も言えず、うつむいたまま、さっきまでの七条との会話を思い出す。
柔らかく笑い、優しい一言をくれるのに、時折、言い放たれる、突き放すような七条の言葉ばかりが、
啓太の頭を離れなくて、啓太は、そっと唇をかんだ。
そばにいても、何一つわかることはないように思える、ただぼんやりとした平行線の上を往き来する
七条との関係は、想像以上に、啓太の心に影を落とす。
もしも、西園寺なら……。

啓太は、無意識に西園寺に目をやると、無表情でティーカップを手にしていた西園寺が、
啓太を見返して、困ったように、小さく笑った。
やがて、西園寺が、何かを思い出したように立ち上がり、数枚の書類を手に取って、西園寺を見つめたまま、
ぼんやりしている啓太の目の前に、すっと差し出した。
「臣が持って行った書類に、不備があった。臣に渡してくれ」
西園寺は、短くそう言って、啓太を見返すことなく、自分のパソコンに戻って行った。

西園寺が、少なからず何か言ってくれると思っていた啓太は、西園寺の意外な態度に、気を沈ませながら
「失礼しました」と頭を下げて、会計室を出た。
西園寺から託された書類は、不備をフォローするものではないと、西園寺の不自然な態度から見て取れる。
西園寺なりの気遣いなのだろう。そう思っても、啓太の足取りは重く、七条のいる生徒会室への道のりは、
いつも以上に、遠く思えた。
今、七条と会っても、同じ事を繰り返すばかりだろう。
啓太に向けられる七条の言葉も、表情も、偽りばかりに思えてしまう。
啓太は、重苦しくまとわりつく、湿気た空気を振り払えずに、一人廊下に立ちすくんでいた。


「伊藤くん」という声が、聞こえてきて、啓太は、急に意識を戻す。
啓太の目の前には、いつの間にか、生徒会室からの帰りらしい七条が立っていた。
「どうしました?こんなところで、ぼんやりして」
おかしそうに笑う七条は、いつも通りの柔らかい表情を、啓太に向けている。
何も変わらない七条から、啓太は、目線を外して、表情を沈ませた。
困ったように啓太を見ていた七条は、啓太の手にある書類に目をやった。
「伊藤くん、その書類は……」
はっ、と書類の存在を思い出した啓太は、慌てて七条に書類を渡そうとしたが、すぐに書類を抱え直す。
「何でも……ないんです。ごめんなさい」
気まずさをフォローできるほど、余裕を持てない啓太は、その場から離れようと、七条に背を向け、走り出した。
しかし、慌てて追いかけてきた七条に、あっという間につかまって、啓太は、再び心を沈ませる。
もう、啓太は、七条の目を、見ようとしなかった。

これが、自分がしてきたことへの罰というものなのだろう。
七条は、啓太の小さな拒絶に、チクリとした痛みを覚えた。
これから先、何度、こんな思いをするのか、想像するだけで、身を引き裂かれるような気持ちになる。
僕の世界に、足を踏み入れた途端、たちまち息ができなくなって消滅してしまうであろう君。
まっすぐで、純粋で、愛されるために生まれてきた君の放つ光は、僕には眩しすぎる。
七条は、そんな思いを巡らせては、悲しそうに啓太を見つめていた。

「七条さん……」
顔を上げないまま、啓太は七条の手を振りほどこうとしていた。
七条は、啓太の手に傘を持たせて、啓太の手を離し、同時に、すっと身を引いた。
啓太は、そんな七条の態度に、胸に針を刺されたような痛みを感じる。
不意に浮かびそうになった涙を抑えようと、啓太は必死に感情を消そうとした。
「七条さん、傘なんて……」
絞り出すように声を出した啓太に、七条は、できるだけ優しく言葉を返した。
「夕立ちですよ」
七条の言葉で、啓太は、ようやく外の雨音に気付いたようだった。
重苦しい空気は、雨が呼んできたものだったのかもしれない。啓太は、少し心を落ち着かせる。
「でも、これを俺が借りちゃったら、七条さんが」
「僕は、まだ仕事が残っていますので。それまでには、きっと止みますよ」
啓太の言葉を遮るように、そう言って、七条は、啓太を残して、その場を去っていった。

強く降りつける雨は、ずっと止むことがないように思えた。
啓太は、七条の傘を握りしめて、届かない気持ちに似た雨を、やり過ごす術を探していた。

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