「星明かり」 3

「ずいぶん、時間がかかったな」
からかうようにそう言った西園寺は、運ばれてきた紅茶を一口飲んで、
七条と啓太に、顔を向けた。
「いつもより苦いぞ」と、笑って言おうとした西園寺だったが、七条と啓太の
冴えない表情を見て、二人の間に、何事かあったと察知し、
黙ったまま、ティーカップを置く。
西園寺は、いつもと変わらない表情を保とうとしている七条と、
いつもより元気がないように見える啓太を、交互に見やって
小さく溜め息をついた。

蒸し暑さの中では、七条と啓太の間に流れている空気が、
余計に冷たく思えるようで、西園寺は、取り繕うように七条に声をかける。
「臣、夏休み中に合宿を行う部の予算についてだが」
「それでしたら、書類が出来上がっています。郁の出した予算内で収まったので、
当初の予定通りに」
いつものように、笑みをたたえながらそう答える七条に、西園寺は、
もう一つ溜め息をついてから、口を開いた。
「それでは、生徒会へ持って行ってくれ。まだ締め切りには早いが、
どうせまた、目を通すのが遅れるに違いない」
「わかりました」と席を立った七条を、啓太は、不安そうな顔で見上げていた。
「臣」
啓太の表情を確認してから、西園寺が七条を呼び戻す。
「中嶋と、やり合ったりするなよ」
「僕は、いつも友好的に接していますよ」
そう言って笑った七条は、書類を持って、会計室を出て行った。

また、郁に助けられてしまった。
啓太との間にあった不穏な空気を察して、生徒会室行きを命じたのは明らかだった。
七条は、西園寺の気遣いを、ありがたく思いつつ、うらやましくも思う。
きっと西園寺は、今頃、啓太の思うところを聞いて、啓太に笑顔を取り戻させるだろう。
それは、七条にとって、手に入れることのできない魔法のような技術に思えた。
啓太を、だますことはできても、笑顔にすることはできないのだ、と、
いつの間にか思い悩んでいる自分に、七条は、少し驚く。
だまされるのが嫌なら、関わらなければいい。
そんな突き放した考え方で、人と接しなければならなかった七条に、
小さな灯りが、ともり始めた瞬間だった。


七条が、生徒会室へ向かう廊下を歩いていると、成瀬が七条の
反対側から歩いて来て、七条に声をかけた。
「なんだか浮かない顔をしてるね、七条」
「そんなことは、ありませんよ」
言葉通りの表情を見せようと、七条は、成瀬に、柔らかく笑ってみせる。
ふぅん、と言って、七条の顔を、じっと眺めていた成瀬が、からかうように
言葉を続けた。
「恋に憂いているのかと思ったよ」
成瀬らしいその言葉に、七条は苦笑いをしながら、それを、やんわりと否定をする。
「まさか。成瀬くんじゃあるまいし」
予想通りの答えが返ってきた成瀬は、小さく笑いながら、七条に言葉を返した。
「相変わらずだね、七条」

恋にうつつを抜かすなんて、今も恋に生きているであろう父を思い起して、ぞっとする。
七条は、心の底で暗く渦巻いている感情を、笑顔の下に、そっと隠した。
恋を追いかける父。仕事に生きる母。
どちらも、自分からは遠い存在に思えて、七条は、自嘲気味に笑う。
恋も愛も知らない。これからも、ずっと、知ることは、ないだろう。
いつも僕に笑顔を向ける君は、家族に愛されて、いつか誰かを愛するのだろうか。
恋を知る日が、来るのだろうか。

        next      home     novel